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傲慢さは成長するチャンスを逃すよ。~自戒の念を込めて~

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こんにちは。こんばんは。おはようございます!

ちぬマロ🌰です!

 

今日は、「傲慢さは成長するチャンスを逃すよ」ということをテーマとしてお話をしていきたいと思います。

 

これは、自分の実体験に基づいた話で、自戒を込める意味でも残しておきたい内容ですが、ちょっと調子に乗りがちのタイプの方も無意識のうちにやってしまっているかもしれないので、是非読んでみてください。

 

 

自分以外の人を見下していませんか?

自分以外の誰かに対して、自分の方が優れていると思う時、その人を見下していませんか?

例えば、会社において、自分より年上なのに、自分に比べて全然仕事ができない人がいた場合に、「自分の方が人間として優れているな。」と勘違いして、見下していませんか?

自分の方がその誰かより、効率的に仕事をこなせる。関係者とスムーズに調整ができる。営業成績があげられる。など一側面だけを見て、勝手に自分の尺度でその人の価値を推し量って、見下し、傲慢な態度を取っているとしたら、それは成長するチャンスを逸しているかもしれません!

 

実際に僕は、恥ずかしながら上司に対して、傲慢な態度を取っていた経験があります。

傲慢だった自分

僕がその部署に配属されて、隣に座っていたのが10歳以上離れた上司でした。

その上司は、ある特定の分野の知識・経験は豊富だったのですが、それ以外の能力はからっきしで、いわゆる”仕事ができない人”でした。

 

「自分がそれだけの経験があれば、もっと効率的により多くの成果を生み出すことができるのになー」

 

と思っていました。

また、客観的にも課の中では、その人は、”仕事ができない認定”されており、僕は心の中で、その上司を見下していました。

正直”この人から学ぶことは、あんまりないなー”と思っていたので、一緒にいた1年間は適当に関わっていました。

しかし、この気持ちが今では傲慢だったと反省しています。

 

傲慢さが成長するチャンスを逃す理由

さて、では「なぜ、傲慢さが成長するチャンスを逃す」ことにつながるのか。

についてですが、傲慢であるということは、謙虚な姿勢を失っているということです。

人間が成長するためには、知識・経験が欠かせませんが、謙虚な姿勢がない者に人は物事を教えたくありません。

そのため、傲慢な態度が、本来なら知識・経験を手に入れられたかもしれない成長のチャンスを失うことに繋がります。

そして、その成長のチャンスを逸した結果、現在身をもって苦労しています。

成長するチャンスを逃した結果

新年度になり、グループの仕事分担が変わったことで、僕が新しく担当することになった仕事が、その見下していた上司がやっていた仕事なのです( ゚Д゚)

そして、その上司は異動してしまい、もう聞けません。

その仕事は、通常はその分野にある程度経験と知識がある人が担当するのですが、人事の都合上、適した人がいないということで、自分が担当することになりました。

しかし、その分野の経験が浅い僕は、正直チンプンカンプンで、基礎中の基礎から勉強しないと対応できません。

担当となった以上、その分野に関する質問がいろんなところから大量に押し寄せてくるんですが、まったくわからず、めちゃくちゃ苦労しています。

さながら中学の部活の顧問とかで、そのスポーツの経験がまったくないのに、ルールもわからず生徒に指導しているような感じです(´;ω;`)笑

 

そして、過去の自分の愚かさに気づくときが来ました。

その担当の仕事は、研修の講師などもするのですが、たまたまその時に見下していた上司の読み原稿を発見しました。

研修資料と合わせて、読んでみると非常にわかりやすく、まさに経験と知識がないと書けないようなものでした。

 

その時、僕は、あぁしまった!!一緒に居た時に、もっと色々教えてもらえばよかった!!

と思ったのです。

 

当時の僕の仕事では、必要のない知識だったかもしれませんが、関連する分野の知識だったので、興味をもって勉強していたら聞くことができたはずでした…

もっと謙虚な気持ちで接していれば、その上司の長所に注目し、その人が持つ知識・経験を引き出すことができて、勉強できていたかもしれません。

 

言い換えると、傲慢な気持ちが、自分の成長するチャンスを逃していたと気付いたのです。

実ほど頭が垂れる稲穂かな

有名なことわざに「実ほど頭が垂れる稲穂かな」という言葉があります。

これは稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。」を差します。

この言葉自体は、昔から知っていましたが、なぜ学識がある人は、より謙虚になるのかあまりピンと来ていませんでした。

 

僕は、今回の経験から

謙虚でいること⇒より多くの知識・経験を積むことができるチャンスがくる⇒さらに謙虚になる⇒またチャンスがくる。

この繰り返しにより、どんどん人間としてに成長し、さらに謙虚になっていく。

そういうことなんじゃないかと思いました。

家庭でも普通に起こりうる

これは、社会の最小単位である家庭にも起こりうると思います。

パートナーの方が、ある分野において知識があった場合、パートナーに見下された経験はないでしょうか?

逆に、あなたがパートナーより人間的に優れていると思っていたとすると、それは一側面においての話であり、パートナーの方が優れている点が必ずあります。

もし、それがわからないのであれば、あなたは成長できる機会を逸しているし、小人物なのでしょう。

お互いが相手に謙虚な姿勢をもって接することで、お互いに良い所を引き出しつつ、成長できるではないでしょうか。

最後に

かくいう自分も小人物です。気づくのが遅すぎました。苦笑

しかし、残りの人生、もっと”謙虚さ”をもって生きていきたいと思った今日この頃でした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。